【ひとりごと】

ひとりごと

= 自由気ままな雑文 =


西新宿 (2003/2/14)

  「一番好きな場所は」と聞かれたら私は迷わず西新宿の高層ビル群を挙げる。とにかく西新宿
 が大好きだ。暇さえあれば行ってしまう。行って何をするという事もない、高層ビルの谷間をぼ
 ーっとして歩きお気に入りのお店を覗く、ただそれだけなのに、それが私の一番のストレス解消
 リフレッシュの元になる。風邪をひいて熱があっても新宿へ行くと不思議と元気になる。悩み事
 を抱えていても高くそびえるビルを見上げると自分という存在がちっぽけなものに思えて悩みも
 吹っ飛ぶ。何故そんなにまで西新宿が好きなのか。それを説明するには私の生い立ちから語らね
 ばならない。

  1967年(昭和42年)2月4日、私は現在の都営大江戸線東新宿駅近くにある産院で生まれた。当
 時両親は青梅街道沿いの新宿区柏木(現在の西新宿 7丁目付近)という所に住んでいたが、私が
 生まれてまもなく東京の下町に移り住む。地方出身の両親は妙にミーハーで(笑)、柏木に住む
 前は代々木、その前は千駄ヶ谷と新宿区渋谷区を生活の拠点にしていたので、仕事の都合と育児
 環境を整えるため下町に引っ越してからも、最後に住んだ柏木にとても愛着を持っていた。

  幼い頃、両親の会話にはいつも新宿の話が出て来た。「お前はね、新宿の柏木という所で生ま
 れたんだよ」繰り返しそう聞かされて育った。テレビドラマを観ていて西新宿の高層ビル群が映
 ると「私達が住んでいた頃はまだ高層ビルが建つ前だったのよ」と教えられた。新宿駅東口のス
 タジオアルタが映ると「あれは和光のビルがあった所だね」と懐かしそうに話し合う両親がいた。
 そんな両親を見ていて、幼心に「そんなに好きなら何故引っ越してしまったんだろう。私も新宿
 に住んでいたかったのに」と思い続けていた。

  私が新宿という街を初めて意識したのは進路を決める頃だった。専門学校を選ぶ時は「新宿に
 ある学校」を最優先基準にした。何故だか分からないが、新宿で生活してみたいと思った。それ
 までショッピングなどでは度々新宿へ行っていたが、遊びではなくこの街で「生きてみたい」と
 思ったのだ。専門学校へ通学している 2年間、時間を作っては新宿という街を端から端まで歩き
 回った。クラスメイトと一緒に、そして一人で・・・。お気に入りのスポットと沢山の思い出が
 出来た。

 四季の道

  新宿駅東口を出て靖国通りから入る歌舞伎町 2丁目方面への抜け
 道。両側にうっそうと木が覆い繁り昼間でも薄暗いので慣れない人
 は恐いと言う。最も、当時ここは専門学校への通学路だったし、横
 道から入るゴールデン街でチーママやってる友達もいたので(笑)
 何とも思わなかったが。だが最近になってこの周辺は東映作品によく登場する場所だと気付いた。
 特に公衆トイレの前(^^; がロケスポットだったらしく「ゴレンジャー」でも「刑事くん」でも
 使われていた。

 花園神社

  東映作品にも時々登場する花園神社は「四季の道」から近いので
 ロケではワンセットで使われる場合が多いようだ。お正月には参拝
 者で賑わう境内も平日はひっそりとしている。

 東口靖国通りから西新宿を望む

  JR線と西武新宿線の高架下をくぐる大ガード周辺は現在でも「昭
 和」の趣きを残す場所。その向こうにそびえ立つ高層ビル群とのミ
 スマッチ感覚が何故か懐かしさを感じさせる。

 新宿大ガードを抜けて

  大ガードを抜けると視界が開けて高層ビルがその全貌を現す。階下層の
 広がり具合に特徴がある安田火災海上ビルはフォルムがとても美しい。

 歩道橋から青梅街道を望む

  青梅街道を挟み右側と左側手前の高層ビル地帯が旧柏木、その奥
 が旧淀橋(昭和44年当時の住宅地図を参照)。余談だが家電量販店
 の「ヨドバシカメラ」はここが発祥の地。

  専門学校の卒業を目前に控えた昭和62年、19歳の元旦。母と花園神社へ初詣に行った帰り、私
 達は西新宿の高層ビルの周辺を歩き回った。晴れたおだやかな元旦ではあったが、オフィスは正
 月休みでひと気がなく、まだ都庁がなかった時代だから観光客もいないし車も通らない。オフィ
 ス街特有のビル風が吹き荒れ、ものすごく寒くて本当に都会の中のゴーストタウンのようだった
 が何故かとても清々しく感じた。高層ビルの谷間を歩く”習慣”はこの時の体験がきっかけとな
 ったものだ。

 北通から撮影

  新宿野村ビル、その向こうに見えるのが安田火災海上ビル。空
 気が澄んでいるためか冬場は特に青空に白い高層ビルが映える。


 北通から撮影

  東映特撮ファン、というより宮内ファンにはお馴染みの新宿三井ビル
 西新宿の高層ビルは外観に特徴ある建物が多いが、フィルム撮影にこれほ
 ど映えるビルは他にない。外壁を覆うハーフミラーガラスは築後30数年を
 経過したとは思えない程綺麗。

 中央通から撮影

  手前から新宿住友ビル新宿三井ビル新宿センタービル安田火
 災海上ビル
。この周辺はどこを見ても東映ドラマファンにはお馴染みの
 場所。

 都庁通から撮影

  現在都庁のある場所はかつての淀橋浄水場跡地で昭和62年当時はまだ広
 大な野原だった。日本を代表するような高層ビル群の麓に広がる原っぱ。
 そのアンバランスさが妙に頭に焼き付いた。

  その数年後、新宿新都心の象徴として完成した新都庁舎は、日本に危機
 が迫った時には変形して巨大ロボットになるのだと噂された程斬新なデザインだった(笑)。

 西新宿7丁目

  夜の帳が降りる頃、青梅街道を横断して昔住んでいた場所へ行った。当
 時のアパートはまだ残っていた。夕方 6時頃だったが、やはりお正月だか
 らかこちらもひと気がなくシンと静まり返っている。裏道を歩いていた時、
 突然視界が開けた。振り仰ぐと安田火災海上ビルが見えた。所々に僅かな
 光をまとっているだけの黒い巨大な建物たち。普段の夜景とはまるで違う
 光景。だが、それがとても綺麗だった。あんなに綺麗な夜景を見たのは生まれて初めてだった。
 その時、私の中にひとつの思いが生まれた。

  「いつかきっとここに戻って来る。私が生まれたこの場所に」

  振り返って考えれば「地球(テラ)へ」っぽいSFチックな気持ちだったのかなと若干照れくさ
 かったりもするが(^^;心に刻み込まれた「思い」は16年経った今でも変わらず、いつしか「西新
 宿に住む」という事が夢になっていた。だがどこでもいいわけではなく「高層ビル群の麓が見え
 る場所」が希望で、「高層ビルが見える場所」や「新宿の夜景が見える場所」は却下。これが簡
 単なようでなかなか難しい注文らしく今だに引越しのメドは立っていないが(苦笑)。でも諦め
 ない。いつかきっと帰ろうと思う。私が生まれた故郷へ・・・。