私的「仮面ライダークウガ」論 Vol.14
第25話「彷徨」/第26話「自分」ライジングペガサスフォーム登場編
['00/8/6 last up date]
一学期最後の日、栃木県風早小学校教諭で五代雄介の恩師でもある神崎先生は、現在の受け持 ち生徒・霧島拓が未確認生命体の出現が懸念される東京へ一人向かった事を知る。それは、優等 生だと思っていた拓が何事かを悩んでいる様子に神崎先生が気付いた矢先の出来事だった。拓の 身を案じた先生は五代へ助けを求める。第11、12話で登場した神崎先生が復活。ゲストキャラの復活は第7、8話で登場した後に第11 話で再登場した 夏目実加に引き続き二人目。「クウガ」が大河ドラマ的な印象を持たせるのは ゲストキャラを 1話限りにせず「どうせすぐに出なくなるだろう」と思うようなキャラを準レ ギュラーとして継続的に登場させレギュラーキャラと絡ませる事によって、人間関係が膨らみ作 品の世界感が広がるからだろう。またグロンギ側でも 第5、6話で登場したバッタ怪人ズ・バヅ ー・バの兄としてゴ・バダー・バ(人間体)がすでに登場している。これは再登場ではないがパ ターンとしては同じ系列になると思われる。その線で行けば第15、16話に登場した一条刑事の 母親とか第13、14話に登場したグロンギに憧れる青年・蝶野などもいずれ再登場するのかも知 れない。
このエピソードでは東京の下町 台東区鳥越を舞台に物語が進む。通常、ドラマに登場する下 町と言うと中央区の月島や足立区の入谷、墨田区の本所などが使われる事が多い。だが鳥越は正 直言って無名に近い場所である。地元の方には大変申し訳ないが東京に33年住んでいる私も「鳥 越」と言う地名は今回初めて知ったし 「浅草」ではなく「浅草橋」を使っている処にも制作側 の強いこだわりを感じると同時に、何故これほど マイナーな土地をあえてロケ地に選んだのだ ろう、と疑問を持った。だがこれには理由があった。鳥越は東映の高寺プロデューサーが少年時 代を過ごした町だと言う。故郷とも言える町を舞台に高寺氏らは我々視聴者に何を訴えようとし たのだろうか。
幼い頃遊びに来た祖母の家はなくなって駐車場となり、馴染みの駄菓子屋を切り盛りしていた おばあちゃんは老人ホームへ入って店は代替わりしている。拓少年の目に映った風景は古き良き 時代を忘れ開発の波にのまれて行く「東京」の姿そのままである。もしかしたら高寺氏は拓少年 に幼い頃の自分自身を投影していたのかも知れない、と感じた。
空を飛ぶ怪人にやられて 2時間変身不能になり、その間に家出した子供を探し出し五代なりの 「優しさ」で子供に語り掛ける・・・シチュエイションは違ってもエピソードの芯は第8話に酷 似している。飛行能力を持つ怪人対ペガサスフォームでは地上戦がない上に変身時間が短くボウ ガンの一発必中であるため「クウガ」としての見せ場が少ないのが難点だが、今回のエピソード での見所は、何と言ってもクウガと一条刑事の 連携プレイだろう。フクロウ怪人の出現により 隅田川沿いの橋で一条刑事のパトカーとクウガの乗ったTRCSがすれ違う。その瞬間、一条刑事の マグナムがクウガに手渡され、クウガはバイク上でペガサスファームに超変身する。
一条刑事から拳銃を受け取るクウガ、と言うシーンはこれまで何度も目にしたが(と言うより ペガサスフォームの時は必ず登場するシーンであるが ^^;)意表を突いた今回の演出は、意外性 と同時にクウガと一条刑事それぞれの カッコ良さが強調され強烈な印象を残す。そのクウガに フクロウ怪人の吐き出すペリットが襲い掛かり、攻撃をよけたクウガは ライジングペガサスフ ォームへと姿を変える。遠景に隅田川の永代橋を見ながら都心の真ん中でも超感覚を惑わされ る事なくフクロウ怪人を射止めたライジングペガサスフォーム。この場面はこれまで登場したペ ガサスフォームでの決戦の中で私の一番好きなシーンとなった。
タイタンフォームに続きペガサスフォームも強化されたクウガ。だがそれは五代の思いとは逆 行するものだったようだ。このエピソード冒頭、五代は「もうこれ以上、強くならなくっても いいやって感じ・・・」と桜子さんへ本音を吐いている。クウガのパワーアップはグロンギと の長期戦を意味する事を自らの体で感じているのだろう。「ただの冒険野郎に戻れるとイイよね」 第2話の冒頭、初めての戦いの後に桜子さんに語った言葉が思い出される。そして第10話で妹み のりに言った言葉も。「俺だって恐いよ」・・・。クウガとなって戦っている時は、闘志や怒り など戦闘的な精神力も強化されているであろうから怪人に対してうろたえたり躊躇する事はなく ても、変身を解き生身の人間(?)五代雄介に戻った時、恐怖や疑問を感じるのは当然だろう。
だがこの場面ではあえて五代の表情を見せずに背後からカメラが追う。いつも重たい意味を持 つ言葉をさらりと軽く言ってのける五代。それは気張らない現代的なカッコ良さではあるが表情 を捉えないそのカメラアングルからは五代の真意を読み取る事は不可能に近い。いつか、五代の 本当の心が描写される時は来るのだろうか。
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