私的「仮面ライダークウガ」論 Vol.16

第29話「岐路」/第30話「運命」

ライジングマイティフォーム登場編

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第13、14話で登場したグロンギに憧れる青年 蝶野が再登場。病気に冒され「どんなに努力し ても何をやっても上手く行かない」と挫折し絶望する蝶野の姿を丁寧に描き「笑顔を絶やさない 強い青年」五代雄介と対比させる事で、五代の表面上の笑顔からは窺い知れないその複雑な心理 描写にウェイトを置いたエピソード。

戦いの状況に応じて青から赤、そして青から紫と戦闘フォームを自在に操れるようになった五 代。キノコ怪人の毒で意識不明に陥った時(第18、19話)に椿医師に施された電気ショックのせ いで基質変化を起こしたアマダムと「もっと強くならなければ」と思った五代の「気持ち」との 相乗効果で現れた金の力。いつしか五代はその力までをも自分の「意志」で操れるようになって いた。

ライジングフォームが登場した 第23、24話からエピソードの内容が重くなって来ている。本 来ならヒーローのパワーアップは喜ばしい事であるはずだが、それを素直に喜ぶ者はいない。何 故なら五代雄介は 生身の人間であり強化スーツやパワードスーツ(プロテクター)を着ている わけではないから。生身の身体がアマダムの力によって生体変異を起こすだけであり、改造もさ れていない骨格や筋肉が常人の何倍もの力を出せばその体にかかる負荷は想像を絶する程凄まじ く、また、驚異的な治癒力ですらも人間本来の生理に逆らったものであり、この状態を繰り返し て行けば五代の肉体は確実にボロボロになって行くであろう事を一条刑事を始め周囲の人間が認 識しているからである。

そしてアマダムから全身に広がる神経。それはまるで五代の体が 進行性の病気に蝕まれてい るかのようにも見える。このまま脳がアマダムに支配されてしまったら五代は戦うためだけの生 物兵器になってしまうと心配する椿医師だったが、五代は相変わらず「全然、OKです」と気丈に 振る舞う。だがひとりになると、五代のその顔からは笑みが消える。いつの日か自分の「意志」 で変身をコントロール出来なくなる時が来るかも知れない・・・そんな五代の 憂いを帯びた表 情を長石多可男監督は実に綺麗に撮っている。やはり苦悩するヒーローを撮らせたら長石監督 が一歩リードしている感があるのは否めない。

一条刑事もまた、五代にばかり負担をかけていると思いながらも凶悪化しつつあるグロンギを 倒せるのは五代しかいないと分かっているだけに「もうこれ以上戦うな」と言えないジレンマに 苦しんでいるように見える。お互いの気持ちを押し隠し何事もなかったかのように戦場へ向かう 二人の姿はとても哀しい。だが、怪人の姿を見つけるや「俺、行きますっ!」と飛び出して行く 五代の表情にはもはや ためらいは感じられない。かつて「俺しかないならやるしかない」と桜 子さんに語った事、そして「中途半端はしません」と一条刑事に残したメモの言葉に責任を持っ ているからだろう。例えグロンギとの戦いが自分の命を縮める結果になったとしても、五代には 「みんなの笑顔のために頑張る」事しか出来ないのだから。

そして一条刑事も、クウガが何事にも囚われる事なく思い切り戦える周辺体勢を作りフォロー する事が自分の仕事だと明言し、その言葉通り試作段階の超高圧弾を駆使してカメ怪人を攻撃、 発射の反動で吹っ飛ばされながらもクウガを援護する。それは五代が「みんなの笑顔」を命がけ で守るのなら、その五代を守るのが自分の任務だと思っているからだろう。頼りになる相棒に見 守られ多くの理解者に支えられて戦うクウガは幸せ者である。

このエピソードではカメ怪人と戦い破れて気絶する五代と言うシーンがあるが、実はこれま で 2回あった「意識を失う五代」の場面は全部長石監督のメガホンによるものだった。第18話で ギノガの毒にやられた時、そして 第6話でバヅーに痛めつけられ椿の元へ担ぎ込まれたにも関わ らず病院抜け出して自分の部屋でぐっすり眠りこけてる五代、と言う場面も長石監督である。監 督は 2エピソード毎のローテーション方式であるから「五代の気絶」が毎回長石監督に当たって いるのは単なる偶然だと思うが、これに当てはまる妙な 法則に気が付いた。第6話、18話、30話 ・・・「五代の気絶」は丁度 12話毎のサイクルで出て来ているのだ。と言う事は、次回の「五 代の気絶」は第42話辺りで出て来る可能性が高い。第42話と言うと最終回も近くクライマックス へ向けて更なる展開がある頃だ。もしかしたら五代はこれまでで最大の大ピンチに陥るのかも知 れない・・・ 。


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